東海道神奈川宿【浦島太郎伝説】現代解釈と考察1

まずは、物語の整理から。
「西暦800年頃、浦島太郎は父親が京都へ単身赴任中、
毎日のように海辺で放蕩生活を送っておりました。
ある日、子供たちに虐待されていた爬虫類カメ目ウミガメ上科に属されるとみられる亀を救護した返礼の極みとして、建前は「祝!竜宮城ご優待」ツアーに便乗しました。

太郎は現地で熱烈歓迎接待を受け、
妖怪乙姫なる遊女もどきと淫欲に満ち満ちた享楽の日々を過ごしました。
3年間に及ぶ交尾三昧の生活で軟体性の性器にも飽き、人肌恋しさに乙姫に離別を告げたところ、
乙姫は逆上、謎の玉手箱を太郎に譲渡し監視生活を始めました
太郎が浜に帰還すると、700年(一説には300年)経過しており、
廻りは富士山の延暦噴火の影響下で壊滅状態。時代は既に室町時代に突入。太郎は鬱病になりました

現実逃避・向精神性作用の為、玉手箱の中の異物に火を付けると紫煙が立ちこめ、
紫煙が及ぼす脳内作用により、酩酊・多幸感・幻覚をもたらしました
太郎は玉手箱に依存するようになり、
やがて長期に亘る摂取・服用は心身共に異常をきたして廃人寸前となりました

拠り所がない太郎は、思い出したように父親の墓を捜しに子安の浜に到着
その時、乙姫が精力増強剤を持って降臨し、墓を教えました
太郎はその地に庵を作り色情生活を強要されたのです
恩を仇で返す行為、男が憎いフェミニズム思想、元祖 "逆DV"!
落とすだけ落とし、最後には自分の意のままに操る地雷女の話です

現在でも太郎が過ごした庵(現在の観福寿寺)、
浦島丘にあった浦島父子の供養塔は蓮法寺に浦島太郎が足を洗ったと言われる足洗い井戸は子安通りに、子安通り西側は浦島町。浦島地蔵は亀住町公民館入り口にあります